ナハネ11製造再開
お陰様でナハネ11のほぼ完璧な配置と運用が明確になりましたので、ふたたび「恐怖のマンネリ製造」に入ります。
復帰第一弾は、「急行西海」の5号車、ナハネ11−55(門ハイ)です。
この工法での5台目となりましたので、やっと切り継ぎの痕跡が目立たなくなってきましたw
が、床下機器は依然、未着手のまま。(爆)
前にだいせん51号さんが、GMの部品で作り直せば?と言われてましたが、確かにその方が手っ取り早やそうですね。
話は変わりますが、先ほどからネット上の「奥野利夫氏画像」をいろいろと眺めているうち、ぐぐっと制作意欲が湧いてくる編成を見つけましたw
1つ目は、「急行なにわ」の編成です。これは以前からいろいろと制作上の障害があり、その第一は「オハ46が8両もぶら下がっている」ことと、第二は「急行なにわの愛称サボが発売されていない(たぶん)」ことでした。
で、先ほど「奥野画像」を眺めていて、昭和34年頃の「急行なにわ」の食堂車「マシ35」が、なんと「青大将カラーのまま」であることに気付いたのでした。(これって常識でしたか?)
これで退屈な「8両ものスハ43→オハ46改造作業」も救われるというものですw
愛称サボは、
こいつから縮小印刷するかな。(弁天町で撮影したものです)
もう1つの編成は、「準急白兎」です。
この編成については、長い間、昭和34年時点での正確な編成と配置が不明確なままでしたが、「奥野画像」により、キモの部分が判明したのです。それは、
スハニ32・46(米ヨナ)ーオロ31・16(大ミハ)−スハ43・189(米ヨナ)−(以下スハ43とスハフ42が計5両)
というものでした。
このしょぼいオロ31を早く作ってみたかったのですが、これまで実際の運用が分かっていませんでした。なお、「準急白兎」の牽引機は、C57です。
しかし、どうして大阪を経由しない山陰線の準急列車に「大ミハ」のオロ31が運用されているのかしら?