東京行きの、チョコレート色の、客車列車 考察。

さて、当時3歳児に強烈な印象を与えた、この客車列車とは、いったい何だったのでしょう?

当時、私と私の家族は、京都市内に住んでいましたが、両親の実家は京都府舞鶴市(母方)と、福知山市(父方)にあり、ほぼ半年に1回のペースでどちらかの実家に帰郷していたようです。帰郷の日は、決まって早朝だったようです。

この当時を1959年だとすると、京都駅・東海道線上り1番線に居たこいつは、「西海」あるいは「霧島」ということになります。かなりの早朝だったことを考慮すると、おそらくは「西海」に間違いないと思います。