山陰線1、2番設置


昔は、山陰線1番線(左側)からは主として気動車列車が、2番線(右側)からは主として蒸機牽引の客車列車が発着していました。
よって、2番線側には右側にさらに機回し線が配置されていましたし、さらに右側にあと数本の客車、貨車ヤードがありました。
画像に見えるキハ20の向こう側に梅小路機関区が設置される(見込み)です。
梅小路所属の気動車としては、キハ17、キハ20、キハ25、それと変わったところでは、DF41(のちのDF92)が配属されていました。山陰線でも大活躍したDF50は、不思議なことに梅小路には1両も配属された履歴はありません。米子や浜田などから遠く京都まで遠征していたようです。

(2009.10.25加筆:DF50は全て米子からの遠征です)

東海道本線部分も4線になりました。
写っている車両は、右から「特急かもめ」「特急はと」「特急つばめ」「急行月光」(の一部)「急行彗星」(の一部)
時代考証的には、この5編成が同時に居並ぶことはありえないのですが・・・。

23年ぶりにパワーパック(今はコントローラーというらしい)を新調しました。さすがにスロー運転時のスムースさが全く違います。(驚き)

東海道本線パンタグラフを下げたまま快走?する「特急かもめ」
編成は「つるしの既成品」ですが、時代設定に合わせてロザの等級帯は青1号に塗り替えています。
この編成は、京都発博多行き下り201レで、1号車から順に、オハニ36−ナロ10−ナロ10−ナロ10−オシ17−ナハ11−ナハ11−ナハ11−ナハフ11の9両編成で、食堂車が前任のマシ49からオシ17に、ロザが前任のスロ54からナロ10に置き換わっていることで、1960年3月以降の編成としています。

(追記と訂正:その後、「特急かもめ」のナロ10連結開始時期は1960年3月ではなく、少なくとも同年7月、または9月以降ということが判明しました。)