レボリューションファクトリー製 蒸機特注ナンバーを装着する

注文から待つこと約半年。先日、ようやく蒸機用の特注ナンバーが納品されました。当初から「催促なしですよ」と念を押されての発注だったので、文句は言えませんが・・・


さて、1960年5月末時点での京都駅周辺に生息する蒸機は、すでに姫路電化も完了して、旅客輸送機としては山陰線と草津線の運用を残すのみとなり、それとて気動車の大量投入によって、数年前までの賑わいはすっかり影をひそめています。

すなわちお膝元の梅小路機関区には、旅客用はC51のみ、入替用は8620とC50(記録上は他にC12がいますが)のみという、かつての名門機関区としては甚だ寂しい限りの状況となっています。

さらに梅小路出先機関たる、京都機関車転向給炭水所(レイアウトでは京都機関区)の存在そのものも、間近に迫った東海道新幹線関連施設の建設のためもあって、僅か数ヶ月後には、転車台、給炭台、ガントリークレーンその他の蒸機関連施設が取り壊し、撤去の憂き目に遭うという状況にあります。(実は正確な取り壊し時期は特定できておりません)

レイアウトでは、この施設の末期の状態を再現できればと思っています。但し、実際には山陰線用、及び梅小路駅丹波口間の貨物列車入替用の蒸機は、梅小路機関区本体の方が地理的にも便利なはずで、恐らくは京都機関区にはほとんど立ち入ることがなかったのではないか、と推察します。


前置きが長くなりましたが、ここでこの時点で生息する蒸機を紹介します。


C51−265(梅)

C51−225(梅)こちらは形式入り。

C11−96(梅) この釜は永く梅小路に居たはずですが、S35.4時点の配置表では貴生川(駐)となっています。

C58−51(奈) 旅客輸送はすでに完全気動車化されていた奈良線ですが、貨物輸送は蒸機の独擅場でした。

C50−115(梅) 大キトの客車入替は、この時点でもまだこの釜が一手に引き受けていました。

C50−116(梅) こちらは標準タイプのデフを装着しております。(実際にはデフ無しだった可能性大)

C50−17(梅) C50の中でも最初期グループに属する古い釜。

68687(梅) もっぱら梅小路貨物駅ー丹波口間の貨車入替専用に従事していたハチロク。珍しく標準デフを装着したままの釜です。かつては東山ー逢坂山トンネル間の補機として大活躍していた時期もあります。

京都機関区全景