1959年当時の京都ー膳所間、京都ー向日町間


ここに少し古い鉄ピク(2004年9月号)があります。特集は「東海道本線今昔」です。

これによりますと、私の再現する区間は下記のようになります。

1.京都ー膳所
京都からみて上りに当たるこの区間は、上りに続く上りの上、東山隧道、逢坂山隧道の2つのトンネルが長年、乗客や乗員を苦しめてきた、東海道本線の中でも名にし負う「難所」であった。
そのため、1944年(昭和19年)にはすでに、上りのみ複線化、つまり上下線で3線化されていた。これは長大で鈍足の貨物列車を、客車列車がこの区間で追い越すためのものであった。

これが1956年(昭和31年)の東海道完全電化により、機関車の牽引力が増強され、またなによりも煙害で苦しまずに済むようになった結果、一番山側の1線が必要でなくなり、事実上、休線状態となっていた。

よって私の再現する時代は、この1線が休線状態だったということになります。そして、この休眠線が再び復活するのは、なんと1970年(昭和45年)の、京都ー草津間完全複々線化の時になります。つまり、この複々線化は、新規としては1本の下り線を建設しただけ、ということになります。

2.京都ー向日町間
京都から見て下りに当たるこの区間は、すでに1938年(昭和13年)には、複々線化されていた。この区間には北にずれた形で梅小路駅があったため、旅客線と貨物線が入り乱れて運行効率が悪かったため、1966年(昭和41年)に5線化されたが、これは私には関係がない。

よって、京都からの上り線に、休止線ながらも上り線を1線追加し、京都からの下り線は複々線化する必要がある、というのが今日の結論です。

しかし、実際と違って「ぐるぐる回りのレイアウト」でこれを再現するには、いったいどうすればよいのでせうか・・・

お知恵拝借。