1956年 晩秋の京都駅の一日(ただし、駄文)

世の中すべてが深い眠りについている午前3時。

人っ子一人いない京都駅構内の一部が急に慌ただしくなった。東海道本線上り1番ホームに、数名の駅員がどこからか現れて、忙しそうに作業を開始したのだ。やがて電気機関車の甲高いホイッスルが一閃し、こげ茶色の客車編成を従えて1番線に入ってきた。今年の時刻改正に合わせて、鳴り物入りで登場した上り8レ「特急あさかぜ」である。東京を、あるいは博多を、仕事が終わる夕方に発てば、翌日の午前中には博多、あるいは東京入りできるという訳である。一方、大阪を中心とする関西圏には、ほとんど縁のない列車ともいえる。こんな深夜に、最寄り駅まで来る手立てもないからだ。

鳴り物入りで登場しただけあって、あさかぜ号の編成はなかなかのものである。先頭から、二等C寝台、二等AB寝台、特別二等、食堂車、2両の三等座席車の後ろに、さらに最新式の三等寝台車を3両も連結している。寝台車のカーテンは全て下ろされているため、中の様子を伺い知ることはできない。ところが、最後尾はお粗末である。旧態然とした三等荷物合造車が、なんとこの豪華列車にぶら下がっているのだ。

ほとんど乗降客のないまま、3時15分に「特急あさかぜ」は静かに出発していった。あたりは再びしんと静まり返った。

その約1時間後の午前4時。今度は東海道本線下り線ホームが慌ただしくなってきた。東京発門司行きの、下り111レ普通列車が入線してきたのだ。荷物車や郵便車を3両、その後ろに形ばかりの二等車を1両連結しているものの、あとは二重屋根の旧式客車が中心の、何の変哲もない列車である。東京を前日の午後2時30分に発ったこの列車は、14時間近く掛けてようやく京都に到着。しかしまだまだ行程は長い。京都見物の観光客と思われる集団が降りてきたが、残りの乗客は窮屈そうな座席で、皆思い思いの格好のまま眠りこけている。この観光客たちも、駅構内の待合室かどこかで夜明けを待つのだろう。

20分という長い停車時間の間に、後ろ3両を切り離した111レが西に向かって走り去っていった直後、また同様の普通列車が隣のホームに滑り込んできた。今度は、遠く青森からやってきた514レである。と言ってもこちらは次の大阪止まり。乗客の半数近くが下車したり、身支度を整え始めている。先ほどの111レと違って、明らかに労働者階級と思われる乗客が過半数を占めている。これから始まる長い冬の農閑期の間、慣れない都会での重労働に励むのであろう。

514レが走り去った、またその直後、同じホームに長大な列車が入ってきた。これも同じ青森からやってきた502レ「急行日本海」である。荷物車、郵便車の後ろに、二等C寝台、三等寝台、特別二等、二等車、さらにその後ろには三等食堂合造車を従える、堂々とした編成である。もっとも、その後方には一般的な三等車が6両も連結されているが。
その一般的な三等車であっても、日本海の乗客は、先ほどの514レとは明らかに違う客層である。何といってもこちらは贅沢な「急行列車」なのである。514レがなんと「前々日」の23時50分に青森を発車したのに対して、日本海はその6時間以上後の「前日」の朝に同じ青森を発車しているのだ。日本海に乗ることの出来る乗客はすなわち、6時間と、より快適な空間を金で買うことが出来る人種なのだ。駅は、まさに世相を反映する鏡のようなものである。

朝が少し白み始めたようだ。しだいに駅全体に活気が戻ってきた。
東海道上り電車線に昨日から留置してあった、72・73型通勤電車に明かりが灯され、ドアが開けられた。通勤・通学の一番電車である。これは草津行きであるためか、乗り込む乗客はまばらである。終点の草津からは大量の通勤・通学者を乗せて、再び京都、大阪、神戸へと向かうのだろう。

つづく(のかな?)

(2009.10.25加筆:72・73型通勤電車という記述は誤りです。当時の緩行線はまだ51系・70系・73系等が主力でした)