1956年 晩秋の京都駅の一日(その2)


再び東海道本線下り線に移動してみよう。
これから、朝の「豪華列車ショー」が始まるからだ。

直江津発大阪行きの、534レ普通列車が入線してきた。この列車の性格も、先ほどの514レと酷似している。こちらは新潟県内、あるいは富山県からの関西圏への「出稼ぎ列車」なのだ。

534レに続いて、向いのホームに長大編成が入ってきた。東京発大阪行きの下り13レ「急行明星」だ。現金を大量に積んだ(と思われる)郵便車と2両の荷物車に続いて、二等B寝台車、二等C寝台車、特別二等車、二等車、2両の三等寝台車と、華々しい。その後方は、例によって三等座席車が6両ぶら下がる構成。国鉄としては、近年とみに好評な新型で軽量の三等寝台車を、旧来の三等座席車から順次置き換えたいところだろうが、逼迫する財政がなかなかそれを許さないでいる。
くだんの現金輸送車の周辺は、物々しい警備体制が敷かれている。おそらく朝一番で、京都、大阪の大手銀行に配達されるのであろう。
特別二等車は、ついこの前まで「特急つばめ」等に連結されていたスロ60型で、「つばめ」・「はと」、といった国鉄の看板列車に、先日、スロ54型という最新型の車両が奢られたため、一応、これは「お下がり」なのだ。とは言っても、内外装とも入念な化粧直しが施され、何よりも蛍光灯の装着で室内が非常に明るく、華やかになった。外部からは、窓のアルミサッシが目に眩しいくらいだ。こういうのを近代化というのだろう。
乗客は、圧倒的に「高級サラリーマン」と思われるエリート集団で埋め尽くされている。ここにも、別の種類の日本の縮図があるわけだ。

明星が京都駅を去って、その僅か7分後、同じホームに今度は、東京発大阪行き1015レ「急行彗星」が滑り込んできた。この長い列車番号不定期列車であることを暗に語っている。こちらは、明星に比べるとやや見劣りがしてしまう。彗星号は、昨年までは名実ともに日本の最高水準の寝台急行列車であったが、どういう訳か今年の大改正によって、明らかに「余剰車両」と思われる、旧型の客車を使って無理やり編成されたのである。(彗星号の豪華版への復活は、翌1957年を待たなければならない)

さて、急行彗星が発車してから14分後の6時14分。東京発博多行き41レ「急行筑紫」が入線してきた。編成は、荷物車に続いて二等A寝台、二等C寝台、特別二等、二等車、三等寝台、食堂車と、これまた豪華な内容である。後続には同じく三等座席車が6両。東京を前日の夜8時30分に発車した筑紫号は、朝が明けてようやく京都に到着、終着の博多には再び夜を迎えてしまう。この列車の乗客の顔ぶれは多彩だ。関西、九州方面に出張してきた高級サラリーマンや企業経営者、のみならず、明らかに観光と思われる優雅な人々も多い。この列車は、東京からの大量のビジネス客、観光客を、関西圏と九州圏の両方で取り込もうとする国鉄の意図が明確である。

さて、下りの豪華列車ショーはまだまだ続く。筑紫号が西に去って、その僅か5分後の6時24分、今度は、東京発広島行き21レ「急行安芸」。続いて43分に神戸行き15レ「急行銀河」、7時台に入って04分の宇野行き23レ「急行瀬戸」、24分の大阪行き17レ「急行月光」、36分の鹿児島行き43レ「急行さつま」、と息をつく暇もない。

これらの一連の東京仕立ての長距離急行列車は、だいたいどれも同じような編成、すなわち1〜2両の荷物、郵便車の後ろに、ABCいずれかの二等寝台、特別二等と通常の二等、その後方の三等座席車・・・とお決まりのパターンではあるものの、各列車を注意深く見てみると、列車編成者の車両のやり繰りが見えてきて興味深い。
まず、東京―大阪間、または東京―神戸間といった、純粋に東海道本線のみを走行する優等列車に常に最新型、最上位車両を充当していること。これは特に「銀河号」や「月光号」に当てはまる。両者とも、ABC二等寝台と二等車を3両ずつ、三等寝台を2両ずつと、特急列車顔負けの編成を見せている。同じ路線でも「明星号」と「彗星号」は、少々格落ちとも思える。また、これらの東海道夜間急行には、いずれも食堂車の連結はない。また、山陽本線まで足を延ばす「安芸号」や「瀬戸号」でさえ、食堂車は存在しない。

一方、この時間帯の上りはというと、主要列車では、6時10分に204レ「急行玄海」が遠路長崎より到着。これは京都止まりのため、乗客を降ろすとすぐに構内の客車ヤードに回送される。この列車が下りとなって、再び長崎を目指す午後10時10分まで、ヤード内でしばしの休息を取るのである。

この時間帯の東海道本線上りは、下りのラッシュに比べるとやたらと静かなものだ。次にやってきたのは、約1時間後。7時5分京都着の、同じく長崎発40レ「急行雲仙」。しかし、こちらはこれから東京までの長旅が待ち受けている。

雲仙号の編成を見てみよう。基本的な構成は、先ほどまでの急行群とほぼ同じであるが、上り列車ということで、普通車と優等車の順がちょうど逆になっている。それらの三等座席車も、一部に例の最新型の軽量客車が使用され始めている。濃い栗色の車体と銀色の屋根が朝日を受けて眩しく光っている。後続はと見ると、同じく軽量客車の三等寝台の後に、旧態然とした食堂車が連結されている。古くはなったが今でも食堂車の最大勢力を誇る、冷房付きの「マシ29型」である。車内は真夏でも快適な食事が楽しめるのだが、外見の古さだけは隠しようがない。特に軽量客車の隣では、余りにも分が悪い。食堂車の後続は、3両の二等車の後、なんと「マロネロ38型」という珍しい車両が連結されている。これは、半室がロングシートの二等寝台、もう半室が転換クロスシートを装備した二等座席車である。同型車の多くは、進駐軍からの返還後、三等座席車に格下げされてしまった。
その後続は、マロネ40型AB二等寝台である。最新型の軽量客車に比べると、さすがにその古さは隠せないものの、現時点においても国鉄が誇る最優等寝台車の1両であろう。

つづく(ほんま?)