1956年 晩秋の京都駅の一日(その3)

雲仙号の後の上りは、長距離普通列車が2本。1本は大阪発東京行き124レ、もう1本は同じく大阪発青森行き511レである。今朝がた、下りで見送った514レの折り返し列車そのものであるが、この列車が青森に到着するのは、午後1時45分。もちろん、本日のではない、明日のである。よって、本日の夜中に青森を発車する514レは、別編成ということになる。予備車も考慮すると、上下で6編成ほど必要ということになる。

などと上り線にすっかり気を取られていた。気づいた時にはすでに下り本線に、8時30分発の京都仕立て博多行き5レ「特急かもめ」が入線しているではないか。慌てて跨線橋を渡って下り線ホームに移動する。
「特急かもめ」は、昨夜8時40分に上り列車が京都に到着後、梅小路駅まで逆走してから、今度は山陰線の二条駅付近まで入り、再び山陰線を逆走して方向転換を済ませてしまっており、先頭にはちゃんと三等荷物合造車が正しい方向を向いて連結されている。確かに「特急つばめ」や「特急はと」のように展望車は連結していないものの、転換クロスシートの装備を持たないスハ44型を使用している以上、デルタ線を利用しての全車方向転換はやむをえない。博多方では地理の関係で、1時間以上も掛けて方向転換しているらしい。

かもめ号の出発を待っていると、下り副線側に、東京発大社行き25レ「急行出雲」が入ってきた。先発するかもめ号も、もっとじっくり観察したいところだが、今年、晴れて「急行せと」との併結から独立した、出雲号も編成的に興味深い。お決まりの荷物車に続いて、1号車にいきなり二等座席車のオロ40型、次いで順にマロネ41型、スロネ30型、2両のナハネ10型、ときて、再び特別二等座席車のスロ53型(製薬会社の広告を参照されたし)の順となっている。これは、次の大阪で2号車から5号車までを切り離してしまう関係のようだ。東海道本線内ではぶいぶい言わせて走ってきた出雲号も、大阪以西では金銀飛車角まで取られてしまって、普通の列車と化してしまうのだ。まあ、福知山線、山陰線にマロネ41は似合わない、とも言えるのだが。さらに興味深いのは、この列車の後ろ半分の三等座席車には、すべて最新式の軽量客車ナハ11型およびナハフ11型が奢られているのだ。さすがは東シナさんである。

つまり、出雲号の典型的な利用客としては、東京からのエリート・ビジネスマンが、主として二等、三等寝台を利用して大阪に向かい、あとの二等、三等座席車は、出雲大社や山陰地方を旅する、どちらかというと年配の富裕層で占められているといえる。

それにしても、なぜ1号車と10〜13号車の浜田行きを連結しないのだろう?

さて、出雲号に見入っていると、突然、発車ベルが鳴り始めた。向かいのかもめ号の出発時間だ。車内は、さすがに特急列車だけあって、いずれ劣らぬ紳士・淑女で占められているものの、かなりの空席が目立っている。大阪以西から順次、空席は埋まっていくのだろうが、やはり特急列車はまだまだ庶民には高嶺の花なのだろう。

かもめ号が走り去った、その僅か3分後、出雲号も静かにホームを滑り出し始めた。

再びここで東海道上り線に目を向けてみると、長大な列車がすでに到着している。熊本発京都行きの202レ「急行天草」である。列車後方には、なんと6両もの荷物車を連結しているため、その直前の3両の二等車との対比が、なんとも妙である。いったい何をこんなに運んでいるのだろうか?

天草号がそそくさと回送されて行ったその直後、鹿児島発東京行き38レ「急行霧島」の入線である。この列車はつい先日まで、ひらがなで「きりしま」と表記していたが、どうやら漢字に変更されたようだ。この列車も先ほどの出雲号同様、博多で3両の二等、三等寝台を増結して、いまや堂々たる編成での上京振りである。しかしながら、至るところで車両を増結してきた結果、旧型客車、新型客車が入り乱れて、編成美とは程遠い姿ではある。意外と後年になって、マニア好みの列車になるのかも知れないが・・・。