保津峡観察

レイアウトの今後の拡張部分である山陰線は、ワタシにとっては絶対に外すことのできない線区で、特に保津峡は当レイアウトの最大の見せ場のひとつとすべく、この特有の地形をしっかりと記録しておく必要があります。

それと、最初に鉄道模型に嵌った中学生時代、すでに山陰線(京都ー園部間)の蒸機牽引の客車列車は朝夕の2往復程度になってはいましたが、下校時にこれに乗るべく、わざわざ二条駅から嵯峨駅、そこから阪急の嵐山駅経由で自宅に帰っていた日々が懐かしく、本日、実にほぼ40年!ぶりにこの線区を訪れたという次第ですw

とは言ってもすでに「トロッコ列車」なる観光専門の路線に成り下がって久しく、感動よりも失望の方が大きかろうと、何の期待感も持たずに出掛けたのでした。

ところが現地を再訪してみると、当時となんら変わりない地形(当たり前ですが)に大いに感動し、小ばかにしていたトロッコ列車も、いち観光客になり切って、これはこれで結構楽しんできましたw

乗客の大多数は、始点のトロッコ嵯峨駅から終点のトロッコ亀岡まで乗車するため、保津峡駅で途中下車したのは、ここをお目当てとするワタシと、相方のふたりだけ。

車掌に、「ほんとにココで下車するんですね? ココは無人駅だからな〜んにもありませんよ?」としつこく念を押されて下車し、あっと言う間に列車は走り去って行きました。

と、辺りには一気に渓谷の静寂が訪れます。

保津峡駅の施設は、上り下りの列車交換のための二線が一線撤去され、本来、下り用であったホームは不要になったため、廃線当時のまま朽ち果てつつあるものの、断崖絶壁にへばりついた駅そのものの雰囲気は、見事に温存されていると言っても過言ではありません。

よくぞこの路線を、例えトロッコ列車という形であったにせよ、再開してくれたものです、JR西日本さん!!

余談ながら往路の車掌の話によると、同社の400社程度ある系列関係の中でも、このトロッコ列車事業が一番の「孝行息子」とのこと。梅小路の博物館と併せて、この路線の永続を願わずにはいられませんでした。


今は使われていない(だろう)旧・下り線ホーム。右側の空き地は、撤去された上り線跡地。

旧・下り線ホームから現在のホーム端部を見る。

断崖絶壁にへばりつく保津峡駅

同上

40年前当時はなかった跨線橋。現役末期に作られたと思われる。

これが当時、下り線から改札に出るために線路を横断する階段のあった跡地。

このつり橋(正式名称は失念)も再現しなきゃ!