気動車研究会 ただし、なんちゃって

ワタシの時代の国鉄京都駅にも、当然気動車が出入りします。

が、これまで、あまりにも客車ばかりを追いかけてきたため、正直、気動車のことがよく分かっていませんw

という訳で、これから気動車のことをいろいろ勉強します。

ココにもとんちんかんな事をいろいろと書くと思いますが、ご指導の程、宜しくお願いいたしますwww


まず、当区のお膝元、梅小路機関区の、当時(ただし昭和34年12月1日時点)の気動車配置状況を見てみます。

DF41−1(いきなり、難解なやつが出てきました・・・)

キハ17−1・2・3・4・5・6・197 (計7両)

キハ20−31・48・49・55・56・57・74・75・76 (計9両)

キハ25−12・13・14・15・44 (計5両)


一切モデル化されていない(だろう)試作機のDF−41は、いったん無視して(爆)、ほかの気動車はキハ17−197を除いて、一次車が新製配置されたまま、となっています。

つまり、キハ17−197を除いては、TOMIXのラインナップの吊るしのままでは使えない、ということになります。


気動車の師匠(謎)にいろいろとお伺いしたところ、

キハ17−1〜6:縦雨樋を側面前端から運転台側(前面)に移設、屋上の排気管の向きを180度転換、妻面足掛けをハシゴに戻す。

キハ20・キハ25:すべて一次車のバス窓なので、TOMIX・KATOモデルは一切使えない。

ことが判明しました。(ぞぞぞっ・・・)

しかも追い打ちをかけるように、

梅小路配置のこれらキハ17・20・25は、昭和35年5月時点では、いまだ「旧一般色」(青3号+黄かっ色2号)のままの可能性が高い。

まま、とのことです。(最悪・・・)

さらにその「可能性が高い」ことの理論的な裏付けとして、

1.昭和35年3〜4月撮影のキハ25(バス窓、千葉配置車)が旧一般色のまま(鉄ピクAS-14より)

2.昭和36年1月撮影のキハ17+キハ20−200(八高線)では、キハ17が旧一般色、キハ20が新塗装(鉄ピク1997-5より)

3.上記梅小路配置車は、すべて新製時において旧一般色で、当時の全般検査が仮に5年としても、ふたたび旧一般色に塗られたはず(新一般色導入は昭和34年)

4.昭和34年に誕生した「準急丹後」(すべてキハ20系)が、すべてキハ20−200番台の新一般色で登場し、しかも全車、金ナナ配置車であった。(本来の受持ち区=福フチにも、新塗装車が1両もなかったため、ミエを張るためにヨソから借りた???)


等々の、事実+大胆な推測で検証して下さいました。