和田山駅を実地検証する

思い立って本日、和田山駅周辺の実地検証に出掛けました。時おり雪が舞う生憎の天候でしたが、雨のそぼ降る和田山は、画像で見る通りの、典型的な山陰の一地方の佇まいでワタシを迎えてくれました。

まずはお目当ての煉瓦機関庫の現状から。


駅の裏側(円山川寄り)の道路から機関庫を眺める。駅施設と道路の高低差は約2m。

駅構内は一応「関係者以外立入禁止」の看板が立っていますが、構内の一部はすでに一般の月極駐車場にもなっているようで、ここからほぼ自由に構内(跡)を散策できます。

現在の駅構内と機関庫のある構内跡は完全に仕切られていて、以前は広大な客車ヤードであったこの辺りは、草ぼうぼうの野っぱら状態。

逆側(豊岡寄り)から見た機関庫と給水塔。給水塔はJR時代になってから上からモルタル塗りされたようですが、

内部を見ると、これが煉瓦積みであったことが分ります。

「SL甲組の肖像3」65ページ(72年3月撮影)と全く同じ「標語」がそのまま残っています。もはや「緑十字」でないところが悲しい・・・

京都寄り側のピット。こちらは庫内から1〜2mしか飛び出ていません。

豊岡寄り側のピットは庫外から長く(10m以上)飛び出しています。


次に、今回の実地検証の主目的である「転車台の正確な位置の確認」のため、機関庫から京都寄りに向かって、水浸しの草地を歩いて行きました。

まるで昔の線路配置そっくりにクルマによる「轍=わだち」が続いています。左側の機関区施設は・・・

乗務員の宿泊施設でしたが、この建物がいつ建造されたのかは不明です。やや後年になってからか?

何の変哲もない画像ですが、こここそが「転車台跡地」そのものであります。これは、この撮影の後でたまたま訪れた模型店の店主からの証言で分ったことで、現場では背丈ほどの枯れ草に覆われていて確認のしようがありませんでしたが、店主曰く、「機関支区の一番端っこに転車台があった」とのこと。

転車台付近から逆に駅構内を振り返ると、

機関庫までは随分、距離があることが分ります。左手のJR和田山駅跨線橋は、今のスタイルのものに架け替えられて、当時の面影はありません。


次に、レイアウト計画では和田山機関支区の背景となる予定の、円山川と背後の金梨山を視察してみました。


これが過去に何度となく氾濫を繰り返してきた円山川。特に2004年秋に豊岡市街をほぼ全面水没させたことは、記憶に新しいでしょう。

現在の堤防沿いには桜並木が設けられ、春には花見の名所となっているようですが、昭和35年当時はもっとワイルドな印象だったに違いありません。

円山川の向こう岸に広がる、金梨山の麓の様子。地元の人は単に「観音山」と呼んでいるそうです(模型店店主談)

杉と竹の生える様子。5月末頃だと木々の色がもっと青々としていることでしょう。


他に、駅周辺をぶらついていて、こんなものを発見。

「ポケットぽっぽ」と題された、駅前近くの小さな休憩所。機関庫の意匠がそのまま使われていて面白い。


たまたま通りがかった、城崎温泉発新大阪行きエル特急北近畿」 こんな車両もそろそろ見納めか・・・


駅東部にあった、明治時代からあると言われる、医院。残念ながら、駅東部まではとても再現できそうにありませんが。