貨車について考える

先日気動車の師匠から、「この時期(むろん1960年)にヨ6000が居るのはおかしいですね」との鋭い指摘を受け、
そう言えば貨車についての時代考証を全く怠っていたな、と一念発起して当区の在籍車両をくまなく調査してみました♪

例によって画像をご覧ください。(一応、用途順、製造年代順)


ワム23000(1938年〜)

当区最古参の有蓋車。昭和14年というと、まだ第二次大戦も始まってません。


ワム50000(1940年〜)

一見、前述のワム23000よりも古めかしく思えますが、これは戦争開始のため鋼材の使用を惜しんで、鉄柱+木造構造としたため。


ワム90000(1953年〜)


前述のワム23000を2段リンク化したもの。これにより幹線での急行貨物対応が可能になりました。上、KATO製、下、河合商会製。


ワム70000(1958年〜)

前述のワム90000の製造方法(軽量化他)、積み込み方法(フォークリフト対応等)を見直したもの。そう言えば、どことなく軽量客車への転換スタイルに似てなくもないか・・・


ポム1(1958年〜)

主に名古屋地区の瀬戸物輸送のため、ワム90000を改造したもの。恐らく当区にまでやってきた実績はないかも知れませんが、清水焼との合同展示会に遥々名古屋からやってきた、というシチュエーションにしてしまおう(爆


ワキ1000(1949年〜)



おっと、こいつらを忘れてました♪ ワキ1000は時代とともに側窓の数が次第に減って、仕舞いには全く無くなって、最後は再び側窓が復活するというのが面白いですね。


ワムフ100(1951年〜)

前述のワキ1000を緩急車改造したもの。


ワフ25000(1939年〜)

これも当区最古参のグループ。車掌室の屋根にはガラベンしか見えないことから、まだこの時代には石炭ストーブさえ搭載してもらえなかったのでしょうか? 乗り心地も劣悪を極めたものと思われ・・・


ワフ29500(1955年〜)

前述のワフ25000を全面的に改良したもの。車掌室を大きく取り、車掌業務向上のためデッキも備える。新製時から石炭ストーブを標準装備。2段リンクも当初から装備。


ヨ5000(1959年〜)

これはご存知、たから号のカラーリングを纏ったもの。後のヨ6000よりも乗り心地、居住性に優れていたため、乗務員にはこちらの方が好評だったそうな。


ヨ6000(1962年〜)

「ヨ」シリーズで唯一の側窓3個が、このヨ6000。気動車の師匠に時代アンマッチを即座に指摘されたのも頷けるところ(とほほ 
実はこの車両、当区の最古参で、かれこれ30年近くも在籍しているため、時代アンマッチに気付きませんでした・・・


ツム1000(1950年〜)


生鮮野菜を積載するため、無数の通風口と多数のベンチレーターが並んでいます。上、河合商会製、下、トミーテック製。


カ2000(1951年〜)

カ3000(1954年〜)

家畜運搬車の変遷は、カ1500以来、家畜の糞尿取り扱いの奮闘の歴史だったそうな。すなわち、カ1500時代には糞尿の清掃性向上のため床板をスノコ状にしたところ、車両操作者にはこの糞尿が飛散してゆゆしき問題となり、新たにカ2000が開発されたとのこと。カ3000はカ2000の2段リンク版。


レ12000(1954年〜)

これも、レ10000を2段リンク化したもの。当区には冷凍車が1両しか居ないのが寂しい限り。


トラ35000(1956年〜)

トラ25000(1957年〜)

後者の方が1年新しいということを今回知りました。勉強になります。当区では、鉄道による自動車輸送が始まったばかり(当時は新車でも自走陸送が当たり前)のため、自動車輸送専用車「ク」は存在しません。


トラ55000(1967年〜)

初の全鋼製無蓋車。よって当区では当然、NG。


トキ15000(1948年〜)

疲れてきたためコメントは無し(爆


タキ3000(1947年〜)


ガソリン専用輸送車。そのほとんどは石油関連会社の所有車でした。石油会社の当時のロゴの時代マッチが不明のため、添付のシールはまだ貼っていませんw カルテックスは恐らくOKでしょうが、「日本石油株式会社」のロゴがなんとなく現代ぽくて・・・


ホキ800(1958年〜)

バラスト散布専用車。現状の当区にはまさにピッタリの車両ですね〜 こいつが「事業車扱いでない」のが不思議。


チキ5000(1959年〜)

チキ5500(1962年〜)

ご存知、コンテナ特急たから号でデビューした車両。当区では後者はNG。(どこかの資料には1960年〜と書いてあったのに〜〜〜〜〜)
後に「コキ」に名称変更される。