山陰線 基礎部分完成!(かな?)

これが、わたし自身が昭和33〜35年前後に、両親に連れられて(帰省のために)山陰線ホームを「原体験」したイメージなのです。

絶対に1番線の「ジーゼル」には乗らへん〜!と駄々をこねまくってるわたしと、なんでやねん、そんな「どんこう」乗ったら舞鶴まで3時間もかかるから、あかん!と強引にキハに乗せようとする両親。

恐る恐る、客車の先頭に居る、蒸気機関車を「近からず、遠からず」の場所で凝視する、わたし。

蒸機には、間違いなくランニングボード(当時はもちろんそんな名前すら知りません)に白線が入っていて、煙突の後ろには給水温め器(当然、名前は知りません)が付いていて、コンプレッサーがけたたましい音を発していた(これは他の蒸機だったかも知れません)のをはっきり憶えています。

で、突然、蒸機が汽笛を鳴らして、泣き出してしまったことも。煙突から吹き出る黒い煙も怖かった・・・

ところで、写真のC−51。ナンバーのNGと本省式でないのが痛すぎます。